シルバーウィークの9月21日から23日は鯛生金山で2泊3日のキャンプでした。
妻の女友達とその子共も一緒です。
日田市にある鯛生金山は1898年(明治31年)から1972年(昭和47年)にかけて掘られた金鉱山です。
初めに発見したのは、通りがかりの商人だそうなんですが、誰かは分かってないらしい。
事業として会社を興し、金鉱山を掘削し始めたのは、鯛生に住む田島儀市と鹿児島の南郷徳之助、他数名だったそうですが、ごく小規模なものだったようです。
事業を大規模化したのはイギリス人ハンス・ハンター。1918年に鉱山の権利を買い取り、最新の近代的な掘削機械や竪坑エレベーターなどを導入して規模を拡大していきます。
しかしながら、1925年、ハンス・ハンターは木村鐐之助に鉱業権を譲り渡して、以後彼の長男へと引き継がれています。
どうして、ハンターは7年位で事業を辞めてしまったのでしょう。見込みが外れたのでしょうか。
Wikiによれば、鉱業権取得直後に、金鉱山から流れでた鉱毒により、下流域に住む住民への被害があったらしいですね。
もしかしたら賠償訴訟に嫌気が差したのかもしれませんね。
最終的に賠償問題が決着したのが1928年となっていますから、木村鐐之助に鉱業権を譲り渡してか
ら3年です。木村氏は結局、鉱毒による賠償金も含
めた形での買取を選んだと言うことでしょう。
その後、豊かな金鉱脈が次々と発見され、ついには、1934年から1938年には佐渡金山を抜いて日本一の金生産量を誇っています。
資源が乏しくなり、1972年に閉山して13年後、
1985年に鉱山跡地を観光地として開発しました。(・・・たぶん。道の駅に掛かっていた垂れ幕に
「祝鯛生金山観光地開発30周年」とありましたから、逆算すると1985年です)
9月21日は大変な観光客でにぎわっていました。道の駅のそば・うどん屋さんで、たのんだそばが、大混雑でなかなかやってきません。周りの人たちも待ってる人が多かったです。
この鯛生金山の横に隣接して「道の駅 鯛生金山」とキャンプ場が併設されており、20区画の区画サイトとフリーサイトがあります。
私たちはここの区画サイト3番を使わせていただきました。大体、区画サイトの60~70%くらいは埋まってるようです。
前回は1泊でばたばたしたので、今回のんびり2泊することに。(私たち以外の周りのキャンパーたちは、はほとんど1泊でかえったようですが・・)
トイレ、温水コインシャワー室(100円で5分間お湯が出ます)、炊事流し棟、ゴミ置き場があり、便利です。うニットシャワーはきれいですし、お湯もちゃんと出ました。
お風呂に入りたければ、車で10分程下った所に公
営温泉があり、夕方5:30受付まで(PM6:00
終了)入れるようになっています。初日はPM5:
30ぎりぎりセーフで、滑り込んでなんとか入れまし
た。
硫酸塩泉なので、始めは少し変なにおいがします
おおが、すぐに鼻が馬鹿になって分からなくなりま
した。人間の鼻は便利(?)です。
by 柳田
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