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長崎街道小倉城下 常盤橋(ときわばし)と伊能忠敬

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 小倉南区から北区を流れる紫川の下流にかかる常盤橋。(2015年10月4日撮影)

 

 

 

 鎖国をしていた江戸時代、唯一外国に開港を許されていた長崎から入ってくる西洋の書物や物品、人などはこの小倉城下の常盤橋を通って江戸へと向かいました。

 参勤交代もまたここを通りました。

 

 当時、九州の最も重要な街道だった長崎街道の九州の最東端がこの常盤橋でした。

 

 

 初めて本格的な日本地図を測量によって描き出した伊能忠敬の九州測量の起点がここ常盤橋です。

 

 

 伊能忠敬は50歳の時、家督を長男に譲り、香取郡佐原村から江戸の深川に居を構えて暦学、天文学、測量術を勉強し始めます。

 

 この時、師事したのは31歳の高橋至時。19歳年下の青年に弟子入りしたのです。忠敬の純粋な暦学・天文学への熱い思いのほか、柔軟な思考力、深い人間力があったことが伺えます。

 

 忠敬は下総国香取郡佐原村の有力商人である伊能家に家業を継ぐ為に、17歳の時、婿養子として迎え入れられています。

 

 伊能家の家業は酒造業、醤油醸造、店賃貸、運送業、金貸業などで、忠敬の代ではさらに栄えたようです。

 

 下総国香取郡佐原村は天領だったので武士は住んでおらず、村民の自治で治められていました。伊能家はその中でも財力が大きく、村の長的な存在だったようです。

 

Wikiによれば、

 忠敬29歳の時の収益は

  • 酒造 163両3分
  • 田徳  95両
  • 倉敷・店賃 30両
  • 舟利 23両2分
  • 薪木 37両3分
  • 炭   1両1分
  • 合計 351両1分

 

 

忠敬49歳の時の収益は

 

  • 酒造 370両3分
  • 田徳・店貸 142両1分
  • 倉敷 30両
  • 運送 39両3分
  • 利潤高 450両1分
  • 米利 231両1分
  • 合計 1264両2分

 

と、収益を3.6倍に増やしており、忠敬の経営者としての手腕もすぐれたものだったことがわかります。

 

 

 

 

 何度も請願していた蝦夷地測量を幕府に許され、蝦夷地の測量を始めたのが55歳の時(1800年)。九州に測量に入ったのは1812年、64歳の時です。

 

 伊能忠敬が生涯で歩いた距離は4千万歩と言われ、地球1周分もあるのだそうです。