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ノモンハン事件(1939年5月4日悪夢の始まり)

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1939年5月4日、外蒙兵がパルシャガル高地を偵察していたので、満州国警察隊がこれを包囲し、少尉1名と兵隊1名を逮捕した。

 

 

5月10日、ハルハ河渡河点付近で巡察中の満州国警察隊は、外蒙側から突然の不法射撃を受け、直ちに応戦する。

 

 

満州国軍は関東軍へ、外蒙軍はソ連へと相手の非をそれぞれ訴えた。

 

 

当時、モンゴル(外蒙古)はソ連の保護国となっていて、ソ連はモンゴル人民共和国を育成強化し、戦略基地にしようとしていた。

 

 

5月11日未明、外蒙軍約100名が警備中の満州軍に発砲してきて、これに応戦すること7時間に及ぶ激闘が繰り広げられる。

 

 

満州軍はついに外蒙兵を撃退、国境線を回復した。

 

この時、外蒙兵の遺棄死体5名、満州軍に損害はなかった。

 

 

翌5月12日、外蒙軍約700人が越境してきた。満州軍は関東軍の緊急出動を要請する。

 

 

関東軍はその方面の担当師団である、第23師団長小松原道太郎が出動することになった。

ハイラル駐屯の飛行第24戦隊(戦闘機)、チチハル駐屯の飛行第10戦隊(偵察機・軽爆撃機)と飛行大隊、自動車第一連隊二個中隊を急派し、小松原の麾下に入れて万全を期した。

 

 

5月13日夜、東八百蔵中佐を指揮官とする第23捜索隊はハイラルを出撃した。

 

 

関東軍の出動に外蒙軍は抵抗すべくもなく翌14日には大半がハルハ河を渡って西岸に退き、残った一部も15日正午過ぎには退却した。

 

 

これが、ノモンハン事件の始まりである。

 

 

 

このあと、関東軍とソ連軍は徐々に、お互いに敵愾心をあおられながら、全面戦争へとエスカレートしていき、ソ連軍の圧倒的な火力の前に、関東軍は無残にも皆殺し同然に、爆撃され、戦車に惹かれ、火炎放射器に焼かれ、ほぼ全滅するのである。

 

 

この本の中にはこの後の戦闘の過程も、実に細かく戦闘当事者の手記、日記、残っている電文などの記録を調べ上げ、詳細に描かれています。

 

 

 

 

時折、著者は、あまりの行き当たりばったり作戦、よく調査もせず見下していたソ連軍への驕慢、関東軍司令部、およびその上機関である、東京の陸軍参謀本部との確執による意思疎通の欠落、などの為に最前線で無残に殺戮されていく孤独な将兵たちを描きながら、怒りで筆を詰まらせている。

 

 

筆者は、この書によって、当時、日本国民あこがれの超エリート集団であった、陸軍参謀本部および関東軍司令部の幹部連中の傲慢と怠慢、利己心、出世欲、見得、意地の張り合いなどの為に、ソ蒙軍含め多くの日本人、満州人の命を無駄に失ってしまったことを、弾劾し、嘆き悲しんでいます。

 

そして、私も、高級官僚たる彼らのこれらの事件に関する戦後の言動には、失われた最前線の勇敢な将兵たちの命への無関心も垣間見られ、何ら反省の色が見られないどころか、作戦失敗の責を将兵に帰するかのような発言もあり、憤りを禁じえません。

 

彼らの無為無策ゆえに戦い破れ亡くなった数万の将兵たちは、何のために亡くなったのか・・・言いようの無い悲しみを覚えます。

 

 

このノモンハン事件の関東軍司令部の面々は、一度左遷された後、数年後には参謀本部へと復権し、日本を太平洋戦争へと大きく誤誘導していくようになるのです・・・。

 

 

 

by 柳田

 

 

 

 

 

 

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