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ノモンハン事件(大敗北の原因)

ノモンハン事件は、単なる国境の小競り合いが、予期せず、いきなり大戦闘へと発展・拡大し、ついには日本軍が全滅に近い敗北を持って終わるという、悲劇です。

 

 

著者はその原因を突き止める為に、この書を著したかったのだろうと思います。

 

 

 

「何故、このような悲劇が起きたのか?」

 

 

「この事件の反省から私たちは何を学ばねばならないのか?」

 

 

 

 

 

 

 

私の(たぶん著者も)考える原因をまとめてみます。

 

 

 

 

 

①東京の陸軍参謀本部と関東軍司令部との間には、感情的なしこり、確執が残っていた。

 

 

②関東軍司令部を東京の参謀本部が監督できていなかった。関東軍司令部の自由裁量の範囲が明確でなく、あいまいなまま、温存されてなあなあのぬるい空気感が漂っていた。

 

 

③日本最高クラスのエリート秀才官僚たる、参謀本部職員の傲慢さ

 

 

④敵であるソ連軍の正確な敵情視察も調査も行わない、日露戦争の勝利以来伝統ともなっていた、ソ連軍への見下し、おごり

 

 

 

⑤ハルハ河を重車輌が渡るのに橋が1箇所しかないという、作戦のおそまつさ、稚拙さ。

 

 

 

⑥近代戦では二正面攻撃や兵の分散はこれ慎まなければならないとされるが、むやみに兵を分散し、各隊の連絡も途切れ、各個に粉砕されるという作戦ミス。というか作戦が行き当たりばったり。

 

 

 

⑦ソ連軍の兵力を最後まで侮っていて、完全に兵士数、兵器数、兵器の質において、大人と赤ん坊のような10対1の戦いになってしまった。

 

 

 

⑧兵站がすぐに途切れ、兵士の水・食料はすぐに枯渇し、空腹、喉の乾きに苦しみながら、炎天下の中戦わなければならなかった。

 

 

 

⑨関東軍と東京の参謀本部との間にソ満国境線に対する、認識の違いが有った。

 

ひとつは、ノモンハン付近の国境線はハルハ河である、と認識していた関東軍に対し、その付近の国境はあいまいであり、定まっていない地域である、と認識していた参謀本部であった。

 

 

国境が定まっているところを越境してくれば、関東軍は侵攻とみなし、徹底抗戦しなければならない。

 

 

しかし、国境がまだあいまいな地域では、むやみに相手を挑発する行為は慎まなければならない。

 

国境線が決まっているか、いないかで対応の仕方がまったく違ってくるのだが、この認識が共有されていない。

 

 

 

⑩上記のような両者に齟齬ができた原因として、1939年4月25日、関東軍が作り将兵に示達した、新しい「満ソ国境紛争処理要綱」にある。

 

 

 

この要綱の第三項では、

 

「国境線の明瞭なる地点においては、我より進んで彼を侵さざる如く厳に自戒すると共に、彼の国境を認めたる時は、周到なる計画準備の下に十分なる兵力を用い之を急襲殲滅す。右の目的を達成するため一時的にソ連領に進入し又はソ連兵を満領内に誘致滞留せしむることを得」

 

となっている。

 

 

 

さらに第四項には、

 

「国境明確ならざる地域に於いては、防衛司令官において自主的に国境線を認定して之を弟一線部隊に明示し、無用の紛糾惹起を防止すると共に、第一線の任務達成を容易ならしむ。(中略)万一衝突せば、兵力の多寡ならびに国境の如何に関わらず必勝を期す」

 

というものであった。

 

 

 

 

どこが問題かというと、

 

 越境してきた敵を殲滅するためには国境外へと兵を進めてよい、といっているのだが、この権利は天皇にあるのであって、現地司令官が勝手に国境外へと兵を進めてはいけない。

 

 

これを認めると、簡単にどこでも武力衝突が発生し、相手国と交戦状態となってしまう。

 

 

また、国境線のはっきりしないところでは「自主的に」つまり勝手に国境線を認定した方が紛争防止になる、といいているが全くの逆。

 

現地司令官が勝手に国境線を決めていたら、それはすぐに挑発行為と看做されるだろうし、へたすれば武力紛争になる。危険な思想なのだ。

 

 

 

 

⑪上記「満ソ国境紛争処理要綱」の内容はかなり問題があるのだが、この文書は関東軍から東京の参謀本部へと送られていている。

 

しかし、これについて参謀本部は関東軍に対し、何ら回答、指導、修正、意思表示をしなかった。

 

というより、無視したようだ。「やるなら勝手にやればよいさ」的な空気が参謀本部にはあったのかもしれない、と著者は言う。

 

 

 

ここで、きちんと修正されていれば、ノモンハン事件は今までとおり、ただのこぜりあい程度で終わっていただろう。

 

 

 

新しいこの要綱では、「敵が国境を侵攻してきたら兵の多寡に関わらず撃退」しなければならないのであるから、今までなら見逃していた小競り合いだったが、小松原師団長も反撃にでるしか無かったのだ。

 

 

 

以上のことから考えるに、ノモンハン事件の主たる原因は参謀本部および関東軍司令部にあると著者は考えているようです。

 

 

 

自分は安全なはるか後方にいて、行き当たりばったりの作戦を立て、兵の命を将棋の駒のようにしか観ず、敵の兵力の調査もろくにせずして、実行部隊には無理な精神論を押し付け、作戦失敗したとしても兵の頑張りがたりなかったと言い、責任転嫁発言をぬけぬけとする・・・・

 

 

これが、当時の日本の超エリート秀才集団、陸軍参謀本部の姿だったのでしょうか。

 

 

 

(しかしながら、これと似たような状況、現代でもあるように思います・・・)

 

 

 

 

⑫もうひとつ、見逃してならない敗因のひとつは情報戦。

 

 

当時日本にはソ連のスパイ、ゾルゲが暗躍していた。日本軍の情勢をかなり正確に把握していたらしく、スターリンへと逐一正確な情報が流されている。

 

 

6月初旬、ゾルゲからスターリンへ極東報告がなされたが、日本の軍容をかなり正確に伝えている。

 

 

 

「中国の戦闘が長期化し、日本全体に緊張感をもたらしている。ただし、日本の軍事力は抜本的な再軍備と再編成を必要としている。ドイツ軍用車運搬部の情報では、この際編成をするためには1年半から2年がかかる予定である。すなわち、日本に”大戦争”準備が出来るのは早くて1941年であろう」

 

 

 

スターリンは、ゾルゲからの報告によって、

 

 

 

「日本はハルハ河流域に侵攻しながら、ソ連と大戦争をやるような準備を進めていない。それなら、今、大兵力を集中し猛攻撃をかけることによって、さらに日本軍の対ソ大戦争への再編成を遅らせることの出来る絶好の機会ではないか」

 

 

 

と思ってもおかしくはない・・・

 

 

スターリンは大兵力をシベリア鉄道で東へと輸送するようになっていく。

 

 

 

 

今も昔も、どうも情報戦には弱い日本のようです・・・。

 

 

 

 

 

 

by 柳田

 

 

 

 

 

 

 

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