済世第一幼稚園の創立者、真田増丸氏は浄土真宗本願寺派の住職であり、大正の親鸞上人とも言われた人だった。
(上は真田増丸氏のお墓)
仲良く、二基並んでいます。
夫、増丸氏の横に並んである、真田増丸氏の妻のお墓
真田増丸氏は、明治10年、福岡県豊前市の本願寺派浄円寺に住職の子として生まれた。
32歳で東京帝国大学を卒業(途中、軍務に就いているようなので、卒業が遅いのか?)し、喜び帰郷すると、母は、彼を本尊の前に導いて言った。
「この卒業証書はまことにうれしいが、ご門徒の汗と脂の結晶です。この卒業証書を生かすには信仰に生きるほかはない」
息子の目の前で、母は、卒業証書を破り捨て、真の浄土真宗の信仰を求める新しい出発点にせよ、と諭した。
北九州市の八幡に来たのは38歳の時で大正3年。
当時、八幡製鉄所では多くキリスト教牧師が雇い入れられ、布教活動していたが、これに対して浄土真宗本願寺派の江田師は日本仏教界への危機感を強め、これに対抗する為に明治42年、真田増丸氏を呼びよせた。
そんな中、翌年、
「仏陀の慈光を世界に輝かし、以て全人類を救済すること」
を目標に掲げ、大正4年、38歳の時、仏教済世軍をたちあげたのでした。
彼の伝道方法はユニークで、洋太鼓を打ち鳴らして歌を歌いながら道を練り歩き、所定の辻に来たところで演説をする、というスタイルでした。
宗派は違いますが、どこか時宗を興した一遍上人を彷彿とさせますね。
しかし、破けた粗末な服装を身にまとっていた為、「乞食坊主が来たぞ!」と、ほとんど誰にも相手にされず、本部での朝の勤行に1人も出席しないこともしばしばだったそうです。
また、当時の製鉄工場で働く肉体労働者たちは、飲む、打つ、買うの荒くれ達の働き場でしたから、一層、伝道には苦労したことでしょう。
しかしながら、地道な努力が少しずつ実を結び始めます。
はじめ、全く耳を貸さなかった労働者たちが、熱心な真田の説法に次第に引かれ始め、徐々に信者が集まりだします。
そして、大正6年には東京、北海道、中国、韓国、台湾にも支部が出来るようになりました。機関紙も1万部以上が印刷されるようにまでなり、信者は急速に広がり始めます。
しかし、残念ながら、無常にも49歳で急性盲腸炎を患い短い人生を終えることになります。
死の床で二人の息子に向かって言った言葉は、
「博士や偉い者にならなくてもいい。どうかお念仏を称える人になってくれ。」
「お父さんは一生貧乏生活だった。残す金など何もない。お金のいる時は、お浄土から電報為替で送るよ」
だったそうです。
息子の通う幼稚園の創立者が、無私の心で、人や社会に尽くしつづけた、偉大なる宗教家だったことには、驚きとともに喜びを禁じえません。
常々感じていた、済世第一幼稚園の先生たちが示される、園の子供達へのあふれるほど豊かな愛情には、眼に見えぬ創立以来の創業者真田増丸先生の無私の精神、慈悲の心に由来することがよくわかった次第です。
真田増丸著 『信念の叫び』
という古書に真田増丸師の珠玉の言葉が、残っているそうです。
手元にその本はありませんが、「ポルフィの日記」というブログに幾つか抜粋して紹介してありました。以下参照元アドレス。
(http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20120502/1335928246)
死を苦にするな、信なきを苦にせよ。
そは、信なきものは、永遠の苦海に沈淪すればなり。
(102頁)
智者は内に輝かんことを欲し、
愚者は外に輝かんことを欲す。
(103頁)
我らが観るべき事実に二つあり。
一は自己の罪悪、二は如来の大悲なり。
(105頁)
「信仰というものは元来、人生問題の終局として現れねばならぬ精神現象である。
福沢先生の臨終の歌に
末はみな仏の道に
落ち葉かな」
(108頁)
まことに仏を信ずる者は、身自ら一ヶの観音菩薩となって、分に応じて世の光となり、力となり、社会有用の人間とならなければならぬ。
といっても、むずかしいことではない。
ただ御恩報謝の生活のほかにはない。
口に念仏称えるも御恩報謝、人に信をすすむるのも御恩報謝、その御恩報謝もまた如来からさせていただくのである。自ら喜びつつ活動し、人にも信をすすめる。そのままが世の光であり、力であるのである。
(148頁)
さしあたる 今日の事のみ 思えただ
かえらぬ昨日 知らぬ明日の日
(155頁)
明日の日も あれど見られず 見せられず
来世のことも かくやあるらん
(192頁)
もつ人の 心によりて 玉となり
瓦ともなる 黄金なりけり
(193頁)
家を思う人は家の人となり、国を思う人は国の人となり、世を思う人は世の人となり、善を思う人は善人となり、悪を思う人は悪人とななるなり。仏を思う人は仏とはなるなり。
(288頁)
極貧の中で、物欲に惑わされず、まっすぐに仏道に生きた者だけが発する、心に直接ぐさっと刺さってくるが如き、言霊が漂っています。
by 柳田
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